2009年03月05日

3月5日 基礎科夜間部(布沢保孝)

アメリカ発の未曾有の大不況の襲来と、財務相の酔っ払い会見での辞任等、麻生政権の無為無策振りや支持率の急降下、更には、小沢民主党代表の第一秘書の逮捕等政財界の混乱が続く中、また、雪が降ったり、暑くなったり、はっきりしない天候の昨今、私達にポカポカ陽気の春の日はやがて来るでしょうが、定額給付金があるとは言え、懐がホカホカと暖かくなる日はくるのでしょうか。
冬から春の日々、かつてはさまざまな出来事がありました。首相官邸を血に染めた2.26の青年将校の氾濫や、水戸藩の武士を中心とした伊井大老を暗殺した桜田門外の変、また、あさま山荘で銃撃戦を展開した連合赤軍事件など、富士山には月見草が似合うように、真っ白な銀世界には、真っ赤な鮮血がよく似合うのだろうか。そして、また派遣社員等首切りによる失業者が溢れ、夢も希望も寝る所もない若者が巷を彷徨し、自殺者が3万人を超えたこの日本に、蜂起と内乱、内戦の吶喊の雄叫びが再び甦る日がくるのだろうか。


団塊の世代の最後にあたる私も齢を重ねて還暦を迎える日も近くなり、廊下などで日なたぼっこの折に、過ぎし日々を想うことが多くなった。
人さまより遅く28才で職に就き、人さまより早く職を辞したが、若き日にはシナリオライターを志したこともあったが、生来の努力嫌いと才能不足により断念、時の流れに迎合した安易な道を歩いてきたなと、ふと自戒している。
民放系制作会社やNHK関連会社を渡り歩き、イベント系制作会社と上場企業の役員に名を連ねたこともあったが、株主共の守銭奴ぶりに呆れ果て、1年間で辞任。そして今は、無為徒食の酒とバラの日々。

イベントプロデューサーとして数度の国際博覧会や大型イベントに携わった20数年であるが、82、3年頃であったか、東京で国際映画祭をやりたいというグループの方が私を訪ねてきて、この企画を実現したいので協力して欲しいとの要請を受けた。このグループのアドバイザーでもあった映画評論家の草壁久四郎氏や、当時、日芸で映画学科教授の登川直樹氏などとも相談して、東急エージェンシーのU局長に話をした所、賛成頂いて同社を中心に85年に第1回東京国際映画祭が渋谷で開催された。
当時、つくばで開かれた科学万博協会に出向していたが、同協会から映画祭実行委員会に一億円女助成することになり、たまたまその担当になり、映画祭のスタッフとして草壁氏にお会いした折「君の尽力で、映画祭が実現できた」と言って頂いたのは嬉しいことであったが、同氏は、もう、この世にいない。

余談はさておき、50期基礎科で始めてシナリオ講座を受講した。研修科にも行こうかと迷っていたら、51期の基礎科講師に高田宏治さん、学生の頃から高田脚本の映画には親しんでいたので、また基礎科、そして研修科では高田さんの講義が3回に1回という。また52期基礎科の講師を見ると鈴木則文さんと掛札昌裕さん、三たび基礎科に舞い戻ることにした。
若き日、ライターでは笠原和夫さん、高田宏治さん、神波史男さん、村尾昭さんなど、監督では、深作欣二さん、鈴木則文さん、中島貞雄さん、佐藤純也さんが好きだった。
学生の頃、学業放棄、デモ皆勤で、ベトナム反戦、安保粉砕をスローガンにヘルメットを被って街頭へ飛び出し各地を転戦、連戦連敗の空しき日々、夜は歌舞伎町あたりの安酒場で泥酔、路上でブッ倒れ、嘔吐を鯨のように吹き上げ、それが顔にべったりはりつき、情けない思いをした。
全共斗運動の退潮と崩壊そして、内ゲバの開始とともに私の運動会とお祭りは悲しき終焉を迎えたが、こうした時にも、東映だけはしっかりと封切り館で観続けたのは、我ながらアッパレであった。
就中、鈴木さんの「緋牡丹博徒シリーズ」「トラック野郎シリーズ」鈴木脚本の「三代目襲名」等、そう言えば評論家故斉藤竜鳳氏の名文「せめてなりたや、緋牡丹お竜」や「緋牡丹お竜さん江」「やくざ映画になぜ惚れる」には、妙に痺れたものだった。
高田脚本の「北陸代理戦争」「日本の首領シリーズ」「沖縄やくざ戦争」や一連の宮尾登美子シリーズ等、掛札さんの「遊侠一匹」や「聖獣学園」など東映の幅の広さと多彩さには目を見張らされた。80年代中葉の東映や神代辰巳さんを中心とする日活ロマンポルノの低迷と退潮は私達世代の混迷と退廃でもあり、青春の日々が終了した時期とも重なった。


余計なことをウダウダ書いたようだ。
本日は鈴木さんの講座。講座は2時間、そして飲み会が2時間余。私は飲み会好きなので、前フリとして講座に出るようなものだ。
講座より飲み会好きが多いのも52期基礎科の連中の特徴だ。いろんな奴がいるから、他の講座の人も参加したら面白いと思う。
まあ、講座については前回までに何人かの皆さんが書いているので、今回は飲み会について少々。
場所はいつもの居酒屋「やるき茶屋」鈴木さんを中心に居並ぶ10数人の面々。
私は今回、出入口付近に近い隅に坐り、慌てて間をもたせる為に煙草を吸い、飲み物はビール以外ならなんでもいいのだが、ここでは緑茶ハイを飲むことにしている。
対メンには(若)女史、(佐)女史、いづれも文才豊かな才媛達。
2人共アルコール類は飲まずにジュース等をチビリチビリやっている。オイッ、飲んで酔わなきゃ本音が出ないだろう、酒を飲め。

まだ、合評会には掛かっていないのだが、彼女達の作品について一言ずつ。
(若)女史の「たからもの」は、昭和初期から現代までの厳しく、苛烈であった時代を背景に、初恋の男性への思慕を胸に秘めて生きた女性の一代記。資産家の娘というところに甘さがある。ただ、時の流れに流されていくのではなく、現実に拮抗、対峙する姿勢があった方が良いのではないか。厭戦ではなく反戦の視点とか。歴史を年表だけで見るのではなく、市井に生きた人々の体験史として、把えたら、もっと奥行きのある作品に仕上がったと思うが。
シナリオ、ペラ280枚の大作だ。
(佐)女史の「ただれゆく」は、男に貢ぐ為に勤務先の金を横領している女が、その男を奪った恋仇きにストリッパーに火傷を負わせ、逃走の果てに子を産み落とし、東京駅でストリッパーにホームから突き落とされ殺されるというストーリー。
(佐)女史は一人で、浅草の名門ストリップ小屋「ロック座」に行ったという。
同女史の可憐な容貌からは、とても想像できない情念と心の闇がよく描写されている。
ただ、2人の女の狭間にい男は売れないシナリオライターということだが、どんな男だったのか、知りたいと思う。鈴木則文さんが他の作品の講評で「三角関係は、解決しないけれど、人の本当の姿を知ることができる」と言っていた。
人は、仏にもなれば、鬼にもなるんだな。
2人の今後の精進と活躍に期待する。

人の作品にああだ、こうだと言うのは、いと安いことだが、私は今期、オリジナルプロットを提出しなかった。大正期の浅草、アナボル対立だの、12階下だの、関東大震災だの、満州だの、そして男や女だの等思い浮かんだものの先行する作品も多いし、手が出なかった。
再起を期すことにした。できるか。

(竹)君と(今)君とで小田急で、途中まで一緒に帰宅。本を30頁程、読み、寝る。
今日も、いい一日だった。

最後に、鈴木則文さん、高田宏治さん、掛札昌裕さん、これからも私共若輩者にしっかりご指導下さい、そして充分に健康には留意され長生きされますよう、あなた方は日本映画界の宝なのですから。


布沢保孝(第52期基礎科夜間部)
30年前からの友人で出版社で編集長をやっていたが倒産、その後コンパニオン会社に転進したが、ここも倒産、失業し、今ごろ生活保護で暮らしているのではないかと案じていたが、過日、世に出て100万部に迫るベストセラー「読めそうで、読めない間違いやすい漢字」の著者になっていたとは驚いた。
人間、いつ大当たりをするか、解からないものだ。出口さん、今度、何か奢ってくれ。


posted by シナリオ講座 at 15:25| 08年秋 第52期基礎科 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする